【太極拳技解説2】太極拳との出会い、それから

【太極拳技解説2】太極拳との出会い、それから

※こちらの記事は過去に他のブログで作った
文章を転載しているため、記事作成の日付は
最後に記しています。

こんにちは。蓬「ミ」塾です。
太極拳に出合うきっかけのお話が、子供時代に飛んで
しまいましたが、皆さまにも忘れられない思い出があると
思います。その一つひとつが今にいたる大切な事がらで
あり、まずは人と人との出会いの大切であると思います。

中学時代に合気道を知り、大学時代に合気道のクラブを
立ち上げました。ずっと合気道を習いたかったのですが、
チャンスがなく、たまたま合気道を習っていたという同級生
がいましたので、私が設立発起人になり、その方を中心に
クラブを立ち上げたのですが、大変なわがままな人でした
ので、最初のクラブは空中分解をしてしましました。

私は新設の大学の一期生で、一クラブ、一同好会の存立
よりも、自治会活動や、色々な新設のクラブの世話に時間が
とられていましたので、合気道の立て直しは、同級の仲間に
お任せせざるを得ませんでした。

その友人の縁で、植芝盛平先生の「合気会」でなく、その
一番弟子といわれた塩田剛三先生の「養神館」傘下の
合気道のサークルが立ち上げられ、それは今日にいたって
います。
私もそこで何とか初段までの免状はいただいたのですが、
自治会活動に忙殺され、自分の稽古は出来ずというのが
学生時代でした。

1972年に「日中平和友好条約」が結ばれ、それまでの
中国との戦争状態が解消され、相互の文化の往来も盛んに
なってきましたが、私はニクソン大統領の訪中とその時の
鍼麻酔の報道に接し、具体的な友好の柱に、中国鍼を
学ぼうと考えました。また、太極拳などの中国武術にも
興味がありましたので、その翌年、晴海で開催された中国展の
ゲストとして来日するという「中国少年武術団」を何とか、町田に
呼んで、その縁つなぎに太極拳が学べないかと企画を立てたり
しました。しかし、これは時期早尚、その代表団を警備するのに
問題がありすぎるということで没になってしまいました。

そんな折、相模大野の「武道学園」で太極拳を教えている
と情報を得ましたので、早速、入門してみました。

当時、太極拳は松田隆智氏が盛んに陳式を宣伝していましたが、
その入門にはかなりの覚悟がいるようにも言われていましたので、
とりあえず、近場で習おうという次第でした。武道学園の教室は
楊名時師がご自分でアレンジした24式制定拳(簡化太極拳24式)と
八段錦という技のみで、先生もこれは健康法で武術ではないと
語っていらっしゃいました。
ご指導いただいた先生は「合気会」合気道の師範でもありましたが、
大変手首が硬くてごつい印象を受けたものでした。

同時進行で、中国の「はだしの医者」をモデルに、薬害・
医原病(スモン、森永ヒ素ミルク患者)の患者さんや、
難病や労災認定の受けられない方々の自衛の手段として、
中国針の学習サークルを行っていました。
しかし、医療の勉強をきちんとし、具合の悪い方々に
責任をとるためにも、国家資格を取ろうということになり、
サークルの会員が順次、鍼灸学校に入学することになり
ました。
町田・森野の「武相健康増進会」という小さなサークル
でしたが、そこから鍼灸師が5人も誕生したことは、今から
思いますと大変なことをしでかした印象がありますね。

鍼灸師を目指したのですが、東洋医学は「未病施治」といい、
病気の予防、養生が基本であるとされています。しかし、
鍼灸術は具合のわるくなった方が対象で、その治療法は、
鍼や灸を使って「氣」「血」を巡らし治すというわけです。
それであれば、鍼や灸を使わずとも「氣血」が巡る方法に
長けている太極拳は、お医者さんと患者さんという両極の
医療構造を止揚して、具合の悪い方、自らが健康を作っていく、
病気に対して、自立的主体的な取り組める手段になれるという
考えにいたりました。

そこで、治療して報酬を得るのでなく、自らが主体的に
治療やリハビリテーション、そして何よりも「未病施治」
「健身養生」の方法、太極拳の指導で生活の糧を得られる
人材を養成していくことが何よりも大切なことではないかと
いうことで、「くらしの企画」というカンパニーを鍼灸学校の
同窓の仲間と立ち上げた次第です。

蓬治療所はそんな主旨で、鍼灸治療所と「ミ」塾という
太極拳道場経営の二本立てで平成の元年に設立された
次第であります。〔ノ〕

2014.11.05