2025年1月24日
※こちらの記事は過去に他のブログで作った
文章を転載しているため、記事作成の日付は
最後に記しています。
こんにちは。蓬「ミ」塾です。
みなさまはどんな動機で太極拳をはじめられたのでしょうか。
まずは健康ためというのが、一番の動機となるでしょうか。
たとえば、柔道や空手などは、健康以前に、強くなりたいという
護身法を身に着けたいというのが動機となるかもしれませんね。
しかし、太極拳を護身法として習う目的ではじめられる方は、
まず、いらっしゃらないでしょう。
私の場合、太極拳は「氣」の武道という認識でしたので、
護身法と健康法(養生法)の両方を考えていました。それは
まだ、日本と中国との国交が回復されていない時代に、
中国文学を専攻していたことで、まずは、日本と中国との
国交回復、友好の手段として、中国の文化の実際を学ぼうと
考え、その一つに中国武術も視野にいれていたからです。
それは合気道を一番自分にあった護身術として修行して
いたことにもよります。なぜ合気道を習っていたかといい
ますと、これはまた中学時代にさかのぼります。
女性の方々が子供のころにあこがれるものはどんな
ものだかわかりませんが、私の場合、すべての男の子と
同じように、強くなりたい、喧嘩には負けたくないという
願望を持っていました。しかし、人を傷つけてまで強く
なりたいとは考えてはいませんでしたので、最低限、
やられない強さぐらいは身に着けていたいと思って
いました。
小学校を3回転校していますので、かなり、行く先々の
学校で仲間はずれや、陰湿なイジメを体験し、そのたびに、
泣かされない、負けないスベを身に着けていったと思います。
イソップ物語に出てくる、動物にも鳥にも仲間と認められない、
蝙蝠の立場をたえず経験させられた小学校、中学校時代で
あったようです。
そんな中学時代、二年生の時、転校してきて、なかなか
クラスに溶け込めないK君と親しくなりました。遊びに
組み手をしていましたら、多少、敏捷性や体力に自信の
あった私は簡単に投げ飛ばされてしました。聞くと、K君は
合気道を創始された植芝盛平先生のところに通っていると
いいました。それで、昼休みや林間学校など、K君から
「小手返し」や「四方投げ」などの手ほどきを受けていました。
ある時、新宿の若松町の道場で演武会があるから見に
行かないか、と誘われました。しかし、その当時、陸上部に
所属していましたので、日程が合わず行けませんでした。
後日K君の話ですと、植芝先生自ら、K君に手かざしを
されたそうです。30センチも離れていたのに身動き一つ
できなかったと熱く語っていたことを今も覚えています。
何十年かぶりのクラス会にひょっこり現れ、その当時の
話をしましたら、商社マンとしてドイツに赴任していて、
その時、合気道が仕事の上でも役にたったそうで、
中学校以来ずっと修行を重ねていたことに、深い感慨を
覚えたことでした。
仲間はずれ同士の友情のついでの話に、小学校の
3年のおり、大阪から茨城県の鉾田という町に転校し
ましたが、そこでもA君とすぐ親しくなりました。
何でも、A君は一年生のとき、トイレを我慢して、
授業中、便を漏らしてしまったそうです。それ以来、A君に
ついたあだ名が「ウンコタレ」で、いつも、一人ぼっちでした。
そんなA君と、なぜか馬が合って、放課後、いつも二人で
野山を駆け巡っていました。
A君は草花に詳しく、また、栗の切り株から伸びた
ヒコバエの枝を切っては木刀を作り、それでチャンバラ
ごっこをしていました。当時は、中村錦之助、大川橋蔵、
東千代之助などの東映映画スターが活躍の時代でした
ので、切った張ったの場面を二人で再現して遊んでいました。
子供は10円で映画を見られた時代です。A君は私が今日、
自然に親しみ覚え、それを友とするスベを最初に教えて
くれた師匠でありました。
お山で二人して、「ウンコタレ」した仲間でしたが、もう、
この世にはいないようです。
太極拳の話がなぜか子供のころ友人の話になってしまいました。
しかし、この時代の一コマ一コマが、今の太極拳の修行に
つながっていることですので、少し、披瀝させていただきました。〔ノ〕
2014.10.29